suicide bambi

パンクロックからお笑いまで、気になることを気まぐれに。

[お願いランキング]12/11/5 ストライクミュージック・・・Hi-Hi 上田浩二郎はこうして作られた!(ブルーハーツ・筋肉少女帯・レッチリ・ブランキー・ナパームデス)

2012年11月5日(月) テレビ朝日 「お願いランキング」より

音楽プレゼンショー『ストライク♪ミュージック』
同じ年に生まれた3人が青春時代夢中になった名曲について熱く語り合う!今回のゲストは、1973年生まれの3人!
友近、上田浩二郎(Hi-Hi)、武井壮



【 上田浩二郎はこうして作られた!名曲ヒストリー 】

73年  誕生  埼玉県出身
80年  小学  イタズラ好き
86年  中学  バンドブームにハマる
89年  高校  相方・岩崎と出会う、バンドを結成
92年  専門  音楽の専門学校に通う
94年  芸人  一度芸人を辞める、バンド結成、もう一度芸人になる
12年  THE MANZAI 2011 決勝進出

上田  「何しろ苦労してきてますから、僕もね。ここまで来るのに18年、19年かかってやっと座れたんで。」
武井  「20歳の時から(芸人)ってことですか?」
上田  「そうです。22で僕はクビになってますから、吉本興業を。」
友近  「クビってなります?」
上田  「それがその年だけリストライベントっていうのがあって、一番つまんない奴をクビにするっていうイベントがあったんです。詳しくは『リストラ芸人』という本を出したんで、それを読んで頂ければ・・・」(笑)

ヤンチャだった小学校時代に大ヒットしていた曲(12歳)
1/10  国生さゆり 「バレンタイン・キッス」  ストライク!

当時の少年少女の誰もがハマッた曲
2/10  チェッカーズ 「ギザギザハートの子守歌」  ストライク!

当時の誰もがハマった曲
3/10  安全地帯 「ワインレッドの心」  ストライク!

相方とバンドを組んでいた高校時代
最初にコピーしたのはブルーハーツの「人にやさしく」
お願いランキング

90年の思い出ソング(17歳)
4/10  THE BLUE HEARTS 「人にやさしく」  ストライク!

87年7月4日 日比谷野外音楽堂 初のワンマン野外コンサート

上田  「日比谷野音の映像、来たか!持ってる、俺このビデオ。」
武井  「天才だよな。かっけえんだよなー。」
口ずさむ上田・武井。
武井  「やります?」
三人  「ガンバレー!」でストライク!

女性ボーカルのロックバンドに衝撃を受けた曲
5/10  REBECCA 「フレンズ」  ストライク!

彼女と一緒に聞いた曲
6/10  ZIGGY 「GLORIA」  ストライク!

相方とバンドを組むきっかけとなった曲
上田  「相方の岩崎と出会うきっかけになったのが、「何の音楽が好きなの?」って言って、筋肉少女帯とブルーハーツっていう。」

89年の思い出ソング(16歳)
7/10  筋肉少女帯 「元祖高木ブー伝説」  ガター!


上田  「このPV懐かしいなぁ。大槻ケンヂさんね。」
武井  「このメイクが。」
上田  「元々はデビルマンのメイクだったんですよね。これはハマったなぁ!」
結果はガター!
上田  「あれ、おかしいなぁ。筋少ハマるでしょ、絶対。ええー!」
友近  「わかるんですよ。」
上田  「どんなバンド好きだったんですか?バンドやってたって。」
友近  「色んな人のコピーをやってから。SHOW-YAとか。」
武井  「渡瀬さん・・・」
友近  「LINDBERGね。」
上田  「PERSONZ!」
友近  「あと、GO-BANG'S。」
上田  「よく考えたら筋少じゃなかったなー。」
友近  「いっぱいあるよ。」

芸人になってからの苦労時代の思い出ソング

高校を卒業後、専門学校を経て芸人を志すも・・・
その後、売れない日々が続く。22歳の時に事務所を辞める。
そして、傷心を癒すため、第1回フジロックである大物アーティストの曲を聞き、
再び芸人を志すようになったそう。

上田  「僕あの~吉本に昔いた時に、リストライベントっていうのがありまして。その2年目の時に、ちょうどつまんない2組をクビにするっていうイベントがあって。そのクビになった時に、帰りながら聞いてたのが、たまたまかかってたのがレッチリの曲だったんですよ。」

傷心の上田を元気づけてくれたレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。
中でも一番好きな曲は、グラミー賞ハードロック部門で最優秀シングル賞を受賞した曲

8/10  Red Hot Chili Peppers 「GIVE IT AWAY」  ガター!


上田  「やっぱカッコいいな、フリーが。」
友近  「あ~わかんない。」
武井  「この曲じゃないんじゃない?」
上田  「でもね、この曲一番だと思う。」

上田  「一番最初に、僕が雑誌に載ったのが(芸人を)辞めてた時代に、レッチリのライブを見てダイブしてる所の写真が『SPA!』に載るんですよ。」

お願いランキング2

出ばやしにするほど好きだった曲(25歳)
9/10  BLANKEY JET CITY 「赤いタンバリン」  ガター!


レッチリに元気をもらった上田は
その後、一念発起してまた岩崎と芸人を目指す。
それから13年頑張って、ようやくTHE MANZAIの決勝に立てた・・・

上田  「もうね、とにかく凄い曲が1曲あるんですよ。尊敬して止まない。」
友近  「知ってるかな?」
上田  「これ、V(VTR)がないんですよ。」
友近  「ええー!」
上田  「なので、ちょっとCDを持ってきました。家から持ってきました。これは、ハマるハマんねえ関係ねえやと思って!ただ聞いてもらいたい。このナパームデスっていうバンドを。」

お願いランキング3

上田が一番好きな神バンドの1曲
10/10  ナパーム・デス 「ITS A M.A.N.S. WORLD」  ガター!

ナパーム・デス / イギリス出身のハードコアバンド。メンバーの脱退・加入が激しく、87年の時点でオリジナルメンバーはいなくなった。

上田  「こっから。」
友近・武井  「・・・・・・。」
上田  「ハッハッハッハッ、最高だなー!(笑)早いでしょう?」

お願いランキング4
怪訝な顔つきの友近・武井。

上田  「凄いでしょ。こんだけバーッと聞いてるじゃないですか。アラララヴォエー!アラララヴォ!しか言ってないように聞こえますけど、これ世界平和を歌ってる歌ですから。」
友近  「わからん。」
武井  「(笑)」
上田  「もの凄い真面目なんです、この人たち。さあ、判定お願いします!さあ、今後ハマりそうだぞっていう。」
お手上げ状態の友近・武井。で、ガター!
上田  「まあいいやっ。」
友近  「ハマらないでしょう。」
上田  「これがテレビで流れると思っただけでいいや、俺!」(笑)



途中、思ってた以上にダイジェスト編集されていましたが、ブルーハーツとレッチリが見れたのと(ブランキーが素通りされたのは残念)、とにかくもう最後にナパームデスを聞けたのが最高でした!!

ナパームデスの高速轟音シャウトを聞いて唖然とする友近・武井さんを前に、「ハマるハマんねえ関係ねえや」「これがテレビで流れると思っただけでいいや」と、満足気にめちゃくちゃ楽しそうに笑う上田さん。テレビ的にどうだったのかはわかりませんが、個人的には・・・

この 世界を置いてけぼりにする感じ、スゲー好きだ!
ロックンロールでも、パンクでも、デスメタルでも
そのバンドがその曲がとにかく好きで
世界にそっぽ向かれても関係ねえ!まき散らしてやれ!
ざまあみろ!っていう感じ。

まあ上田さんは単に、大好きなナパームデスがテレビで流れたらいいなーという感じだったんだろうと思いますが、聞いてるこっちの痛快感がハンパなかったです!
そして番組終了後、すぐにツイートが・・・


ラジオで幾度となく「ナパームデス」の話題を聞いてるキッズ=ヘヴィーリスナーとしても、ヘヴィーな音楽好きとしても、これは嬉しかったー!

さて、振り返ってみると、ブランキーは「赤いタンバリン」・・・単独で流してた「ガソリンの揺れかた」じゃないんですね。「赤いタンバリン」は歌い出しが早いので、出ばやしにすると出てくるタイミングが難しそうな気がしますが。コメントを聞けなかったのが残念。

そういえば、先月の「爆生レッドカーペット」の待ち時間に、上田さんとバイきんぐの小峠さんがそれぞれにブランキーを弾いてるらしい写真をツイートしてました。
パスタ野郎とハゲうげ・・・なんて二人だ!


そして高校時代、最初にコピーしたのはブルーハーツの「人にやさしく」だったとのことで、バンドの写真ではドラムを岩ちゃん、ベースを上田さんが弾いています。が、著書「リストラ芸人」の中では、ベースをやっているという異性にモテそうな奴がいたので、彼をベースにして上田さんがボーカルをすることになったと書いてありました。

ラジオでよく「俺は歌はあんまり・・・」と自信なさげに言っているので、バンドのボーカルでブルーハーツを歌っていたこともあったのか!とちょっとビックリ。ちなみに最初にベースを選んだ理由は、ギターより弦が少なくて簡単そうだから、だそうです。

( 以下、所々「リストラ芸人」の内容に触れているので
  ネタバレしたくない方はご注意を )

その後、芸人を辞めていた時代。傷心を癒すため、第1回フジロックでレッチリの曲を聞き、元気をもらって再び芸人を志すようになった・・・と紹介されてましたが、初耳でした。確かに思い出の曲ではあるんでしょうけど、別に傷心を癒すためにフジロックに行ったわけでも、それがきっかけで再び芸人を志すようになったわけでもないような(笑)

本には、芸人をクビになった帰りに聞いていた曲は、レッチリの「Under the Bridge」で、スベッた後味を思い出すのが嫌で、その日以降ほとんどこの曲を聞いていないんだとか・・・

Red Hot Chili Peppers 「Under The Bridge」


ふと思い出すのは、Hi-HiのANNの公開放送を見に行った時、ジングル前に流れていた繋ぎの曲に上田さんが反応して「これ、レッチリじゃね?」と。聞かれた岩ちゃんはピンと来なかった様子で、上田さんが「やっぱレッチリだよー」と呟いていたのが妙に印象的でした。

最近のANNではオンエア曲とは別に、ジングル前の繋ぎにブラーやランシドやドクターフィールグッドなど、なかなかのロックな選曲が短く編集されて流れていて、その中にはレッチリの曲も。おそらく毎週流れているので今さら気づくことでもないと思うんですが、公開放送では普段のブースとは聞こえ方が違っていたのかも。

あとで、レッチリって思い出深いバンドだったんだな・・・と知って、あの時しみじみとレッチリに耳を澄ませていた上田さんの姿をふと思い出します。

それから、フジロックの第1回に行っていた話。あの伝説の第1回に行っていたなんて、台風直撃のあの発狂乱の中にいたなんて、もうそれだけでスゲー!と思ってしまう、映像でしか見たことがない世代です。

本によると、チケットを手配してくれた(吉本時代の同期の)ロンブー淳さんは行けなくなってしまい、亮さんが行けることになったので現地で待ち合わせて一緒にライブを見たとのこと。先日のHi-Hiのトークライブのゲストが亮さんだったので、アンケートに「第1回のフジロックに行った話が聞きたい」と書いてみたんですが、そんなマニアックな話が聞けるはずもなく(笑)

上田さんは大好きだったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが初めて来日したこともあり、テンションが上がって暴れてたと・・・その一場面が後日、『SPA!』に載ったようです。もしや、レッチリ以上にレイジ好きなのでは?

Rage Against the Machine 「DARKNESS」 FUJI ROCK FESTIVAL 97


Red Hot Chili Peppers 「GIVE IT AWAY」 FUJI ROCK FESTIVAL 97


バンドをやったり、フェスに行ったりしていた当時を「先のことなんてなんにも考えず、ただただブッチギリでバカだった時代だ」と振り返る一文が好きです。本の最後には、もしもう一度リストライベントに出ることになったら、「今度はブッチギリで最下位じゃなくて、ブッチギリで笑いを取って1位になってやる!」と・・・

またカッコいいこと言いやがって!
しかし自分は、ブッチギリで面白い奴より
時にブッチギリでバカな奴の方が好きかもしれない。

ただただブッチギリで楽しい漫才をやった結果、
今の状況をラッキーパンチが当たっただけだと吐き捨てる。
面白い芸人は山ほどいるが、Hi-Hiはブッチギリで楽しい芸人だ。
万人にとって楽しいかどうかはわからない。
が、自分にとってはブッチギリなのだ。

根明で適当なクセにネガティブな上田浩二郎と
イジられキャラでも常に楽天的な岩崎一則と。
バンドではベースとドラムでリズム隊だった二人が
漫才ではボケとツッコミになり、テンポを刻む。

ラジオのエミネムのコーナではさらに逆転し、
ツッコミのはずの岩崎が「ファック!」「ビッチ!」と暴走し始め
ボケのはずの上田が「ダメだよ」とたしなめる。
どこに向かってるのか、笑うしかない夜明けに酔う。

将来は「この世界で細く長く生きていきたい」なんて言う。
冠番組を持ちたいなんてデカい夢は持たず
後輩の「オードリーにやってもらって、そこに出演して・・・」なんて言う。

18年間は計り知れない。形なんかどうだっていい。
Hi-Hiもオードリーも好きな自分は、彼らが楽しく共演してる夢を見る。
ただただブッチギリで楽しいことをやり続けてくれ!と思う。
好きな芸人みんなそう。ずっと楽しくやっていて欲しい、と願う。

何が正解かはわからない。
この先どうなるのかもわからない。

だけど転がり続けて行くんだろう。
それを追い続けて行くんだろう。

ドブネズミのような芸人たちの生き様を。

11月9日で39歳になった男、上田浩二郎。
39も全開で行け!
行けるとこまで、ブッチギッて行け!

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://suicidebambi.blog44.fc2.com/tb.php/461-89942835