suicide bambi

パンクロックからお笑いまで、気になることを気まぐれに。

【チュートリアルの徳ダネ福キタル】17/3/17…エレファントカシマシ30周年・宮本浩次と30年の歴史を振り返る

2017年3月17日(初回放送) スペースシャワーTV 
「チュートリアルの徳ダネ福キタル♪」

チュートリアルと菅沼ゆりがお送りする
音楽情報バラエティー

祝 エレファントカシマシ 30周年!
宮本浩次と30年の歴史を振り返る




福田 「ちょっと緊張しますね」
徳井 「ねえ」
福田 「僕たちもずっと」
徳井 「そうですよね」
福田 「もう学生の頃から見てましたから」
徳井 「はい」
福田 「憧れの方ですけども。登場して頂きましょう、エレファントカシマシの宮本さんです!」

宮本 「いらっしゃいませ、すいません」
福田 「ありがとうございます」
徳井 「いや いらっしゃいませはこっちですから」
(笑)


■ 宮本浩次(Vo.&Gt.)初登場

福田 「もう初めましてなんですけども」
徳井 「ねえ。うわ~もう」
宮本 「初めまして、ほんとよろしくお願いします」
福田 「お願いします」
徳井 「やっぱ宮本さんはやっぱり、いつでもこう宮本さんという感じなんですね。宮本さんやなぁって思ってまう、なんか」
(笑)
福田 「確かに。何も変わんないっすよね」
宮本 「ありがとうございます、ほんと(笑)」
福田 「もう体型も」
宮本 「でもね、ほんとにあの~おふ…皆さんね、やっぱこう、やっぱり凄いこう迫力があるというか」
(笑)
福田 「ないです、ないですよ」
宮本 「きれいな方とね、ほんとに凄いこの3ショットでね」
徳井 「(菅沼ゆりさんを指して)まあ可愛いですけど」
福田 「ほんまですか?」
宮本 「ちょっとほんとにドキドキしてます、ほんと」
福田 「いやいや 思てないでしょ」
(笑)
徳井 「迫力はそりゃ宮本さんがやっぱ迫力あるなっていう感じはね、しますけどねえ」


■ 趣味は?

福田 「宮本さんって、趣味なんなんすか?」
宮本 「今だとやっぱお茶飲むのけっこう好きですね」
福田 「お茶飲む…?」
(笑)
福田 「えっバーボンとかじゃないんですか?」
宮本 「で、その~やっぱり凄くこうお茶、あの優雅な感じがしてね、凄く好きですね。はい」
徳井 「お茶っていうのは日本の?」
宮本 「あと車運転したりとか」
徳井 「はあ~。もう車の話に行きました?」
(笑)
福田 「お茶の話ちょっと、もうちょい聞きたかったお茶」
宮本 「本読むのも好きです」
徳井 「あ~もう行ってますね」
(笑)
徳井 「ご本もね」


■ よく見るコンサートの夢

福田 「やっぱり一番はやっぱ音楽のことを考えちゃうんですか?」
宮本 「あ~それはそうですね、やっぱりどうしてもまあ、ねえ、やっぱりこうそれでやっぱりやってるってとこあるんで。寝る時とかも、このあのその~コンサートをやる、やるんですよ。スペースシャワーの(“LIVE with YOU”)。それの曲順どうしようかな?今日考えたけどあれで良かったかな?とか、けっこうそれで。でもそのままこう夢に出て。で、夢の中にもまたコンサートが出てきて。なぜかとかその…試験の時にあのやっぱ試験の、夢見ちゃうみたいな、のと一緒でね、コンサートの夢で。それでまたその出番がもうみんな出てんのに俺だけなんかまだ準備してないとか」
徳井 「ああ~!」
福田 「ええ~!」
宮本 「そういうのだけ」
福田 「えっ、未だにですか?」
宮本 「そう、まい…まあ昨日、今日ですよ、今日ほんとにまさにね」
徳井 「今日見たんですか?」
福田 「えー!」
宮本 「見てきました。朝もうどうしようと思って」
福田 「はははは」
宮本 「で、お客さん 始まると帰って行っちゃうとかね」
徳井 「ああ~!」
福田 「えー!」
菅沼 「あ~嫌な夢ですね」
宮本 「恐ろしい夢がいっぱい見るんですよ」
福田 「未だにですか?」
宮本 「ああ~!!って起きるっていう」
(笑)
宮本 「けっこうだからほんとにそう音楽のことやっぱよく考えますね」
徳井 「若手の頃ならわかりますけども、今そんな、恐怖を感じることなんて、あるんですねえ。そういうふうに」
宮本 「うーん…」


(ライブ・オンエア情報)
SPACE SHOWER TV
“LIVE with YOU”~エレファントカシマシ~
2017/2/26(日)@東京グローブ座
初回放送:3/26(日)21:00~

・LIVE REPORT|vol.20 エレファントカシマシ「LIVE with YOU」
・PHOTO GALLERY



■ デビュー30周年 特別企画
エレファントカシマシ ざっくり年表

【1981年】中学3年の時にエレファントカシマシに参加

福田 「途中から参加っていうことですか?」
宮本 「そうなんです。あの~まあ話せば、長くなって、まあ、これはあの編集して頂けるんですね?」
福田 「もちろんです。もちろん生じゃございません」
(笑)
宮本 「中1時代の、あの~まあ中1時代に、まあバンド4人でやってまして。こう私と、まあドラムのまあトミ、トミと、トミっていう。からギターの石くんってこの、この3人で1年6組の同級生だったんですよ」
福田 「あっ、へえ~」
宮本 「その、ギターの石くんが、あの~ギターを、まあ、近所の楽器屋さんでみんな楽器習ってて。で 僕は、みんなバンドやってんの知ってたんだけど。まあ中3の時に私まあ、あの~歌がこう上手いっていう噂が、あの~浸透してましたんで」
(笑)
福田 「いやなんか、だって10歳の時にもうソロデビューしてるんでしょ?宮本さん」
宮本 「そうなんです」
福田 「ねっ」
宮本 「あのね、そうなんです」
(笑)
宮本 「あの NHKのもう今だから恥ずかしくない、まあ小学校の時は恥ずかしかったんです、やっぱり、NHK合唱団 行って」
徳井 「まあね」
福田 「そうかそうか、はい」
宮本 「サッカーとかみんなやっぱ野球とかやってるから。そん中でやっぱり合唱団に僕 NHKのね、東京放送児童合唱団。あの~小学校2年から、ちょっと…詳しく、2年か4年か5年ぐらいまで」
徳井 「ははは、だいぶ幅広いですけど。まあまあ小学校の時」
宮本 「それをやっぱみんな知ってて。で 何となく機会をめ、狙ってて、中3の時に、誘われたんですよね」
徳井 「あ~そうだったんですね」
福田 「ボーカルで歌ってよ みたいな、ことで」
宮本 (うつむいて頷きながら固まる)
徳井 「合唱団のイメージ、全然ないですね」
福田 「どこ見てんすか」
(笑)
徳井 「なんでこれで固まったんですか、今」
宮本 「いや懐かしいですよね、それは」
福田 「10歳でソロデビューって凄くないですか?」
宮本 「いや当時やっぱ、東京だとあの、山手線が、前の3両と10両編成なんですけど。1980…あの 70年代、前の3両と後ろ まあようやくクーラー、冷房車が入って」
福田 「あ~はいはいはい」
宮本 「もう子供だから、渋谷まで赤羽っていう所から、あの…通うんですよ。渋谷のNHKの放送センターに。そうすっと、電車のやっぱこう満員電車で。もの凄いこうあの~ギュウギュウんとこに入って」
徳井 「暑いっすよねえ」
宮本 「それでもうあの~いうふうにして通ったっていう話だけど」
(笑)
福田 「何の話なんですか」
宮本 「すいません。いや、面白い話をしようと思って、大して面白くない」
(笑)
徳井 「いや面白いです」
福田 「面白かったです」
宮本 「無理しない方がいいですね」
徳井 「そんだけまあ印象に残ってるんですね、そのギュウギュウの電車が」
宮本 「(頭を抱えながら)ギュウギュウ詰め、そう。暑かった」
福田 「大人ばっかりの中ね、一人で通って」
宮本 「ありがとうございます。で、それ誰…ほんとに誰かがそのおならでもされようもんなら、大変っていう状況でした」
(笑)
宮本 「変な話、すいません」
福田 「辛い思い出を経て」
徳井 「あははは」
福田 「そうやってまあ中3でバンドを一緒にやり始めて」


【1988年】EPIC SONYより、シングル・アルバムを同時発売でデビュー

福田 「これはどういう、きっかけで」
宮本 「これはね、僕は、受かったのがCBS SONY SDオーディションっていうのがあって。ソニーの、そういうオーディションがあったんですね。そこに、あの出ました。で当時、やっぱりこう、あの~ユニコーンとか、奥田民生さんとかね。あと槇原敬之さん、そういったこう方々がどう、同期、同じぐらいにこう、SD SONYのオーディション」
福田 「そうそうたるメンバーですね」
宮本 「オーディション出て。で まあほんとにそれはもう、ほんとに最高でしたけど。……あの~なんかおじいさんっぽくないですか?」
福田 「えっ?」
宮本 「私の喋り方、おじいさんっぽくないですか?」
徳井 「今ですか?」
(笑)
宮本 「大丈夫ですか?」
徳井 「大丈夫…」
宮本 「それで」
徳井 「宮本さん 前からずっとその喋り方なんで。慣れてます、僕らも」
福田 「こんな動く(立ち上がって身ぶり手振りする)おじいさんいないですよ、なかなか」
(笑)
宮本 「おじいさん、(立ち上がって謝りながら)…おじいさんを冒涜してましたね」
福田 「してない、してない」
(笑)
徳井 「テレビの前のおじいさん怒ってないですよ、全然そんな」
宮本 「それで、あのその~」
福田 「唯一無二です、宮本さんは」
宮本 「(手を前にかざすように出しながら)あの~、オーディションに合格してほんとに嬉しかった」
福田 「古畑任三郎みたいになって」
徳井 「超能力者っぽくはありますけど、おじいさんっぽくはないので」
(笑)
宮本 「ははは、ほんとすいません」
徳井 「で 受かって」
福田 「もう行けると思ったんですか、その時は」
宮本 「いや~それはやっぱりね、あの~そうです、この4人でね、あのオリジナル曲をやっぱり当時から、やってまして。『ファイティングマン』って曲とか」


■ デビュー当時のメンバーとの思い出

宮本 「そのレパートリーはたくさんはなかったけど、そのこの今の4人でね。もう…で、ベースの成治さんが、お風呂屋さんだったんですよ。お風呂屋さん」
福田 「へえ~」
宮本 「こういうもうほんとに東京の方だと、必ず壁にこうペンキで富士山が描いてある。そこのこう所にね、最初 仲良しになった時、19ぐらいの時にね、やっぱ夜中に、あのお風呂屋さん 銭湯だから、ちょっと行きたい つって遊びに行って。そしてそのお風呂に、あの~まあ、メンバーでみんなで浸かって、夜。それでその、あのみんなで上がると、お母さんが成治さんのお母さんが、牛乳出してくれて。その牛乳みんなで飲んでね。それでそのこたつん中で、明日あの~ヤマハのポプコンのコンテストの決勝戦がある つって。まあもう、ほんと絵に描いたような 3人で、雑魚寝でね、こたつん中でこうやって寝て」
徳井 「いいですね」
宮本 「それでこうコンテストに出るっていう、そういうまあそういうこう、でも意外にやっぱみんなでこう友達になるっていうのは、やっぱり色々お互いに気を使ったりとかね。そういうなんかいい、凄いデリケートなね、時代だったけど。でもほんとにそうやってこう音楽をやるっていう所でみんなで、何かこう不思議なエネルギーを、満たしてね、やっぱやってましたね」
福田 「いい思い出ですねえ」
宮本 「いい思い出です、それはほんとに最高なね」
福田 「かわいらしい、みんなで」
宮本 「そうそう」


■ 尖っていた!?デビュー当時

徳井 「でも若い時とか特にやっぱ宮本さんとか、尖って…らっしゃったイメージあるんですけど、衝突したりとか色々なかったんですか?」
宮本 「…………」
福田 「ありましたねえ、これは」
(笑)
宮本 「いや、えーとね、いや、うーーんとですね、その、うーんとなかなかこう短い時間で言うの難しいんですけど」
福田 「なんか色々聞いてんのは一応あるんですけど。あの~武道館でお客さん全然入れずにライブやったとか」
宮本 「ああ~。いや、あのですね、そう、僕らは、わりと凄く鳴り物入りでデビューしたんですよ、我々 実は。こう、それも大型新人とかもう凄いヤツ出たぜ!みたいな。そういうふうにして、ガァ~っとやってたから、意外に初っぱなからいきなり渋谷公会堂でやったりとか」
徳井 「ああ~」
福田 「それ凄いっすね、いきなりが」
宮本 「ほとんどこうやっぱりその、叩き上げでね、やってきたわけじゃなくて。だから全国ツアーもね、今回初めてやるぐらいの、規模、大きなツアーね。で まあ、その、そういうふうにして、ポッと渋谷公会堂でやったりとか。まあ、わりとそういう非常に、あの~これ編集…(立ち上がって)真面目な話で大丈夫ですか?」
福田 「全然 大丈夫」
徳井 「大丈夫です。聞きたいですもん」
(笑)
宮本 「それでですね」
徳井 「はい。興味ありますし」
宮本 「それでそういうこう、非常にそういうぶど…あの渋公なんかで電気付けっ…だから凄く剥き出しなキャラクター、っていうので売り出そうっていう」
福田 「渋公で電気付けっぱなし?」
宮本 「でコンサートやって。で その、やっぱこう、そのセットの中 こういうほんとにこういうスタジオもね、これ凄いセッティングされてるけども。まあ裏を見るとやっぱこう、そのなんか剥き出しのなんかこういう脚立があったりとか、あるじゃない?そういうものの前でわざと、コンサートやって。要するにこう、なんかこうその「尖った」っていう おっしゃってたけど、そういう尖った感じのニュアンスを、全国レベルで売り出したいっていうそういう、意向があった、事務所の方に。それで僕らもその、まあ乗っかって、あの~だから例えばなんて言うんだろうなぁ、思ったことすぐ口するとか」
徳井・福田「ああ~」
宮本 「あとなんかこう、なんだろうな、手拍子してね、そんな好きじゃないのにイベント出るとなんかこう楽しそうに手拍子してる人を見ると、「そんな手拍子しても 面白くないんだったらもう出てってくれ!」と」
福田 「なんで言うんすか」
(笑)
徳井 「いや 向こうも気使うてやってるわけですから、よかれと思って」
福田 「やりたいですよ、そら」
宮本 (うなだれる)
徳井 「そんなのも言っちゃって」
宮本 「そう。そういうことをやっぱやってた。で、それをまた逆に売りにするっていうか」
徳井 「はいはいはい」
福田 「破天荒な」
宮本 「そう。だからそのなんかこう、いうことをやって、まあ色々 自分もだから傷つくこと多いですよね、お互いにね、ずっとこうやってると。だんだんだんだん、そういうコンサートやってたらみんなもそういうもんだと思ってきたから」
福田 「なるほど」
宮本 「もう、エレファントカシマシのコンサート行くっていうと、とりあえず硬くなって、出る前から全員で緊張…」
(笑)
宮本 「こうやって出て、「今日は宮本の機嫌は大丈夫か?」みたいな」
(笑)
宮本 「それでこう出てくと、座っててみんなもうこうやってもう(硬直して)…固唾を飲んでこうやってて。そのままこうやって帰ってくみたいな。一声 咳払いでもしようもんなら、「お前 咳払いした!出てけ!」みたいに言われちゃいけないっていうふうに」
福田 「そうか」
徳井 「ああ~」
宮本 「警戒してもうなんかもの凄い緊張感」
徳井 「へえ~」
福田 「そうか、手拍子したら怒られるし」
宮本 「ヤバいと」
福田 「咳払いしたら怒られるし」
宮本 「そう…」
福田 「お客さん楽しくなかったでしょうね」
宮本 (突っ伏す)
(笑)
徳井 「凄いなぁ」
宮本 「(頭を抱えて)何をしてんだかもうさっぱりわかんないですよ」
(笑)
福田 「その当時」
徳井 「本末転倒みたいな感じですもんね」
宮本 「だから『ゴッドファーザー』なんか見てて、こないだ、映画の。したら、「何しろお前 思ったことはすぐ口にするな!」つって、もうズキッとした」
(笑)
宮本 「けっこう大人っぽくて弱点を見せちゃいけないし。でもその非常に弱点も何かその諸刃の、あれじゃないけどそのギリギリの何かそういう所でね、エレファントカシマシでやってて、それをそのままみんなに見せたかったんだと思う」
福田 「なるほど」
徳井 「ああ~」
宮本 「だからその、曲もそうだったし。だからそういう売り出し方をしてた」


【1994年】ヒット作を出せず、レコード会社と契約終了
ライブを行いながらレコード会社を探す
【1996年】PONY CANYONより『悲しみの果て/四月の風』をリリースし、前線復帰

福田 「やっぱこれは、思い出深いですか?」
宮本 「まあ7年間、実はそのソニーの…会社と、あの~前の事務所、の人には世話になったんだけど。その間でやっぱり全然その平行線を、まあ辿ってて、みんな みんな このエレファントカシマシが好きだったし。まあお客さんもみんな 何とかしたいと思ってそうやって、思って愛してきたんだけど。まあ、あえてその「愛」って言葉を使えばね、愛してきたんだけれども。でもなかなかヒット曲が生まれず、そして、でも同時にやっぱ精一杯こう音楽を、こう出し続けね、この同じメンバーで。そして、でもやっぱ結局上手くいかなくて契約が、あの~終了してしまったんですよ。レコード会社と。でも、レコード売れなかったのはほんとに…(頭をかきむしりながら)あの辛かったけど。でも同時にその間にやっぱ7枚、のアルバムを出して。そのアルバムごとに、やっぱこう音楽的な実験、ライブでもまあ精一杯色んなことをやってきて。ようやく音楽的な何かを掴んだ、『東京の空』っていうアルバムでね、掴んだ。だから、この、ほんとに辛かったけど、この『四月の風』って曲を、やっぱり1月の5日の夜中に、もう微熱7度6分。そしてあの、もうおっぽり出されて給料も出ない」
福田 「ええっ!」
宮本 「(ゆっくり立ち上がって)もうだからそのおっぽり出された、契約きゅう 急に終了しちゃったから。事務所と、レコード会社がクビ、クビっていうかその、なっちゃったから」
福田 「まあそうっすねえ」
宮本 「その、もう、やることないから、何やるかと思ってやっぱ曲 一生懸命こうやって(書いてるジェスチャーをして)、『四月の風』「何かが起こりそうな気がする」うわ~!つって、「なんだかじっとしてられない 誰かが俺を待ってる」っていう歌詞を作った」

宮本 「それでそれをどこで歌う つったら、下北沢の、ライブハウスで。そこでこうそれを歌うと50人、100人の、あの 昔はこうやって硬直してた人たちが、やっぱ僕が、僕らが、もうヤバい、って言って俺も、(前のめりに歌う格好をしながら)この人たちに訴えなきゃと思うから一生懸命そこで訴えるわけ、ライブハウスで。そうすっとみんなこうやって、どうしたか つったらもう、拳を上げて、「宮本ー!」つって、こうやってやって返ってくる」
福田 「直立不動やったメンバーが」
宮本 「あいつらが、こうやって(拳を上げて)「宮本ー!」つって俺はもう、嬉しかったですよ!」
福田 「へえー!」
宮本 「下北、この頃、だからもう忘れられない」
福田 「そうなんすか。じゃあ転機となった」
宮本 「(頷いて)歌がもう届いた…瞬間です。だからようやくプロになった瞬間…」
福田 「ああ~!」
徳井 「そういうことか~」
福田 「すごーい」
徳井 「「明日もがんばろう」は自分に対しても、言ってたんすねえ」
宮本 (頷く)
徳井 「はあ~」
福田 「じゃあ 7年間のまあちょっと紆余曲折あっての96年、ちょっとようやく」
宮本 「嬉しかったですねえ」
福田 「自分としてもちょっと」
宮本 「はい」
福田 「踏み出せたみたいな」


【1997年】『今宵の月のように』をリリース

宮本 「このね、『今宵の月のように』っていう曲はテレビドラマの、主題歌だったんです」
徳井 「はいはいはい」
宮本 「主題歌として、書き下ろしました」

宮本 「それでね」
徳井 「書き下ろしやったんか、これ…」
宮本 「何時、9時からだっけなぁ、何しろねえ……生まれてから、あんなに嬉しいことそうそうないぐらい嬉しかった」
福田 「えっ」
宮本 「ドラマの、テレビっていう中から、「くぅ~だらねえと♪」って、俺はもう東京中の街から、『今宵の月のように』が流れてきたって錯覚を起こしたぐらい」
徳井 「いや流れてましたよ、東京中、だって日本中で」
(笑)
福田 「みんな知ってます」
宮本 「聴こえちゃったんですよ。東京、団地に住んでたんだけど」
福田 「団地 住んでた?」
(笑)
宮本 「窓全部から」
福田 「団地 住んでたんですか?」
宮本 「団地に住んでたの」
福田 「ええっ」
宮本 「団地の窓から(笑)全部から『今宵の月のように』が聴こえて」
福田 「団地の全部から」
徳井 「はあ~」
福田 「これは嬉しかったですよねえ。人生でも指折り数えるぐらい」
宮本 「指折り数えるぐらい嬉しかった」


【1999年】東芝EMIに移籍し『ガストロンジャー』をリリース
【2003年】“ヒット曲で作った財産持ち逃げ”事件
【2006年】Dr.冨永が病気を発症し、ライブ活動を休止
この年にレコード会社との契約も終了
【2007年】ユニバーサルミュージックより『俺たちの明日』をリリース
【2012年】Vo.&Gt.宮本の突発性難聴により、ライブ活動を休止
【2013年】「エレカシ復活の野音」を開催
【2017年】デビュー30周年アニバーサリーイヤーに突入!ベストアルバムをリリース

福田 「30年どうでした?」
宮本 「…あっ、でもやっぱ曲…を、作ってるじゃないですか。例えば『四月の風』って曲があったり、『今宵の月のように』って曲があったり、それこそ『ガストロンジャー』って曲があってまあ自分たちのね。そうすっとその背景はやっぱこうやって、あのやっぱりどうしても今自分でこうやってこう、30…まあデビュー30周年で。まあ、バンドとしても30~6、7年やってるわけですけども。やっぱこう、そんなに大きく人間って変わんないし。やっぱ、最後は、ほんとに自分のやりたいことってまあこれ難しいけども。やっぱこう、でも自分は音楽、一生懸命やっぱやってそういう所をみんなやっぱり、好きでいてくれるとするならば、やっぱこう一生懸命、自分の今の、なんかこう…あれをやっぱこれからもちゃんと、もっともっとちゃんとね、やってかないといけないなっていうふうには思うんですよね。だから、しっかり生きていくっていうふうには思ってますね。はい」

福田 「さあそしてね、3月21日に、『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』がリリース。どのような作品になりました?」
宮本 「えーと、まあ、初めてなんです、こうやってこう、オールタイムのそういった自分たちの代表曲を、1枚目のアルバムに。で、30周年 30曲 3000円っていうなんか、ニックネームを誰かが付けてくれて。それに合わせてもの凄いこう、もう200何十曲あるのを、一生懸命なんか「宮本が選ぶべきだ」って所があったもんですから。一生懸命その30曲。で、『今宵の月のように』『悲しみの果て』『ガストロンジャー』、からまあその『俺たちの明日』から『ファイティングマン』っていうこの、その自分たちの代表曲を、この1枚のアルバムに入れられたっていうのは1つやっぱこう、1つのやっぱまあいわゆる通過点としての、まあ凄く役割を担ったアルバムにはなったと思いますね。はい」




Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://suicidebambi.blog44.fc2.com/tb.php/886-8c55ba3b